投下労働量と価値とのサヤを能動的に拡大するためのコンテンツ提供

スターバックスでデイトレード

トレードとコンテンツ提供をクロスさせながら同時に技を磨いていると、その差異や類似性に面白みを感じることがある。

特に差異を見いだしたときは、相互補完の関係にあるため、片方で得られない充足感を得られ、ひとりほくそ笑む。


最近感じるのが、投下労働量と価値とのサヤを受動的に収益化するか、能動的に収益化するかの違い。


ビジネスとはすべからく何かと何かのサヤを取る行為と捉えることができる。

トレードの場合、理論株価と現在株価のサヤ、取引主体間の認識のサヤ、カレンダースプレッドに代表される時間のサヤ、などなど。


そのサヤの収束を予見して対象銘柄を売買し、収益を得る。

このとき発生するサヤは、すべからく受動的なものである。

自分でサヤを拡張したり縮小したりはできず、我々はその流れに身を任せる大河の一滴に過ぎない。


トレード技術の向上は、存在するサヤの確度や広さを認識する精度を引き上げる行為と換言できるだろう。


一方、コンテンツの場合、このサヤは自分の技術によってのみ拡張できる。

受け手の満足とは何かを深く考え、それを実現するための様々な手法を駆使し、重層的に価値を積み上げていく。

満足の理解と手法の巧拙が、投下労働量を遙かに上回る価値を創造するのだ。


トレードに取り組むときにふと感じる虚無感は、この差によるものなのだろう。

認識したサヤをひたすら埋める受動的行為を、己の表現の発露たる価値創造のプロセスと捉えることは至難。


自分らしさの表現によって、関わる人々をの心を深く充足させる。

社会的な生き物である人間が普遍的に求めるこのプロセスを、トレードは発動し得ない。


自分がコンテンツ提供に取り組む理由の根底には、その虚無感を補完する意図が、図らずもあったのかもしれない。

そんな思いに突き動かされ、今日も自分のトレード技術を磨きつつ、それをコンテンツ化できないか、頭を抱えて考え続ける。