実体経済と金融経済の大乖離時代における錬金術獲得を目指す者の教理(2)



以前働いていた中古書籍買取販売の会社で、後輩が新品のコミックをよく持ってきていた。

それらのコミックは自社サイトを見ると中古でいくらでも売られており、当然そちらの方が安い。


不思議に思い彼にその真意を問うてみた。

曰く、

「自分の好きな作者だから、できるだけ彼のもとにお金が行くといいなと思って。」


地方の中小企業で給与のベースが低く、若手ゆえ彼の可処分所得はなおさら低い。

好きなゲームやコミックを買うため、昼ご飯をよくカップラーメンで済ませていた。

あまりに不憫に思ったので、当時自動売買で勝手に増えていくあぶく銭放出も兼ねて、焼肉や寿司を一緒に食べようと誘った日々を思い出す。


彼が欲しかったのは紙やプラスチックではなく、そこに内包されている情報であることは自明。

そして、その情報に心血を注ぎ紡ぎ出す作者の生き様に対し、なけなしの給料からの還元を試みていたのだ。


シストレ業界に限らず、ネット全盛のこの時代、情報はタダだと考える風習はいまだ根強い。

情報は再生産コストがゼロだから、タダであるべきだという論理を振りかざす。


それでいて、価値ある情報をタダで手に入れようとする人物に限って、自分の情報には相応の見返りを求める。


価値ある情報の背後には、先人たちの膨大な艱難辛苦が積みあがっており、現代に生きる我々はその上澄みを享受しているに過ぎない。

それを考えれば、情報には敬意を払うべきだし、新たな学びや概念を与えてくれた人物に対する相応の支払いを躊躇してはならない。


ネ○ヒ○ズ族や彼らに群がり搾取されてきた人達に決定的欠けているのは、この情報への敬意なのだ。

ここを外すから勝手に膨らみ勝手にはじけ急転直下で消えていく。


情報を活用したマネタイズエンジンは、ドローダウンがほとんどない、収益化のロジックが明確、一度組み上げれば長期にわたって自動的に収益をもたらしてくれるなど、シストレにはない優位性をもつ。


また、情報に敬意を払うという教理を戒律として活動するなら、多種多様な人たちとの価値ある情報の相互提供を通じた共同昇華プロセスを辿ることも決して夢ではない。

孤独がデフォルトのトレードでは見出しづらい、あるべき未来もクリアに見えてくるはず。


読者がもし、あまたの情報を買いあさり結果が出ず、2chへ赴いて“詐欺!!消費者庁通報窓口はこちら→”などと書き込みたくなる衝動に駆られたのなら、しばし立ち止まって問うてみよう。

支払ったそのお金に、情報提供者への敬意の対価という視点が抜け落ちていなかったのかを。


その思考に至れたならば、お金は堰を切ったように回りはじめる。

お金とは信用、いいかえれば敬意のやり取りなのだから。