自分はかつて、中古書籍やCD、DVD、ゲームソフトを個人から買い取って販売する事業会社に勤めていた。

データベースマーケティングのノウハウを駆使した効率的な買い取りや販売促進がメインであったが、物流の最適化なども業務の枠を超えて手伝っていた。


中古書籍を毎日取り扱っていると、書籍が定価の半額から、供給過多になったものは1/10以下の価格で叩き売られることも日常茶飯事。

それでも売れない商品は段ボールに詰め、箱当たり数百円で業者に引き取ってもらう。


また、商品やカテゴリ単位の価格推移を分析しながら値決めのロジックを構築していく業務は興味深かった。

たとえば、村上春樹の「1Q84」や「ワンピース」などは長期にわたって価格が落ちない。

ゲームは旬の時期が短いため、査定から棚入れまでを最優先で行う。

少女コミックはそもそも売れないので、買い取り価格は極限まで引き下げ、場合によっては買い取らずに廃棄する。


このような環境に慣れてしまったため、書店で売られている1,500円の単行本の購入を躊躇するようになってしまった。

もしかしたら自社で300円で売られているかもしれない、そう思うと欲しい書籍へ伸ばした手が止まるのだ。


今思い返すと、その時期における知識獲得の機会損失は相当なものだったのではないかと後悔の念は尽きない。

書店で1,500円の書籍に自分のアンテナが反応したのであれば、即座に買って消化すべきだったと。

アンテナが反応した瞬間が最も吸収力が高いし、既存の知識との化学反応により新旧の知識の深みが増すうえ、豊潤なボキャブラリーも獲得できる。


差分の1,200円など、獲得した知識が将来もたらす上質な時間を考えればファーアウトオブザマネーのオプションプレミアムよりも安い。


その反省から、今は投資家脳を意識して商品を購入するようにしている。

多くの人間はゼロを基点としてプラスかマイナスかを判断基準とする。

財布のお金が減れば損だし、増えれば得という硬直化した思考のまま一生を終える。

増税前の、企業が仕掛けたマーケティング戦略に踊らされた読者は要注意だ。


真の投資家は、将来の期待収益を推定し、価格がそれを下回っていれば、100円でも100万円でも躊躇なく投資する。

判断基点の可動域が広いといい換えてもよいだろう。


今の自分にとって、新たな知識は無限の可能性を秘めた投資対象だ。

PDF20枚で3万円の情報商材でも、アンテナが反応したら躊躇なくワンクリックバイ。

お金を失うことよりも、機会を失うことを最も恐れる。


仕入れた知識を駆使してその数十倍の利益を生み出し、それを再投資しながら富の源泉たる知識を高速回転で仕入れて消化しアウトプットし続ける。

自分に残された時間はもう多くはない。

だからこそ、人の2倍3倍の速度で知識と富を回転させる。


きっとできる、そう信じて今日も爆速で生きる。