尼子家再興に生涯をささげた「山中鹿之助」。

忠臣蔵にも似た、衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い続けるプロットが江戸の庶民にも親しまれ、講談などによる潤色の素地となった。


戦前、国威発揚の色濃い国定教科書にも記載された「三日月の影」。

鹿之助が三日月に向かって、

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

と祈ったシーンは有名である。


先日他界したスティーブン・コヴィーの「七つの習慣」における第一の習慣は、「主体性を発揮する」。

ここでいう主体性とは、どのような状況に置かれても、自分の価値観に基づいて反応を選択することを意味する。

つまり、目の前に起こる事象はコントロールできなくとも、それに向き合う自分自身の反応はコントロール可能だということだ。


トレードでの損失は確かにつらい。

だが、そのつらさに脊髄反射するだけでは、コヴィーいわく、主体的に生きているとはいえない。


その損失を多角的な概念により要素分解し、ベットすべきファクターの純度が低くなかったか、なかったのであれば、損失を受け入れる自分なりのメンタルマネジメントに改善の余地があるのではないか、どうしても一人でマネジメントできないのであれば、価値共有の仕組みを構築し他力を活用できないか、具体から抽象へのボトムアップ思考で自分を鍛えなおしていく素材と考える。

さすれば、むしろ損失に対する弱き心のありようが深ければ深いほど学びもまた深いと主体的に反応を選択できるだろう。


尼子家の再興のため、孤立や飢餓、謀反や裏切り、果ては信長の軍門に下るなど武門の恥辱の限り受け続けながら、毛利家と三度に渡る激闘を繰り広げた鹿之助。

最後は力尽き34歳の若さで毛利輝元に謀殺される。


心が折れそうなときは、自分の価値観に基づき自ら主体的に七難八苦を選択した山中鹿之助の生き様を是非思い出してみよう。

読者はそのとき必ず思えるだろう、今確かに主体性を発揮する最高の素材を手にしているのだと。