盆栽

肌寒い土曜日、紅葉を見るべく昭和記念公園へ足を運ぶ。

イチョウやモミジがちょうど見ごろを迎えており、萌えるような風景がそこかしこに広がる。


また横田基地が近いせいか、米軍と思われる集団がオーケストラを披露していた。

流暢な日本語でEXILEからクラッシックまで演奏の幅は広い。

日米友好を目的とした草の根活動も大変だなと思いつつ、彼らも日本人の拍手喝采はまんざらでもなかった様子。


さて、昭和記念公園は奥に進むと日本庭園が広がり、さらにその中に盆栽が飾られているスペースがある。

盆栽のことは全く分からないが、そこにある盆栽のうち樹齢は長いものだと300年を超えるのだという。

江戸時代から代々手入れを引き継ぎながら今に至るのだろう。

江戸の泰平から開国、敗戦、高度成長期を経てきた日本の日々の雑多な積み重ねにこの樹木は何を思うのか。


手が触れられるほどの距離にあるため、引き寄せられるように顔を乗り出して妄想にふける。

彼らはきっとこれまで多くの称賛を浴びてきたのかもしれない。

しかし樹木としての与えられた使命を全うする、ただそれだけを300年積み上げてきた邪念なき姿を素直に感じた。


翻って、欲望むき出しの市場で戦ってきた自分はどうだろうか。

積み上げた年数はいうに及ばず、使命もなく迷いに迷う日々の取り組み。

彼らと自分との差分の大きさが、これすなわち煩悩なのだろう。

人々が彼らに畏敬の念を払うのは、煩悩の涅槃を乞うためか。

この小さな宇宙を前にして、期待値有利ばかりを追う自分はちっぽけだと思う。


それでもなおトレードにこだわるのは、積み重ねる日々の純度を高めることに喜びを見出しているから。

積み上げてきた時間は追いつけないが、その純度なら近づける、いや近づいてみせる。


来年また会いに行く。

積み重ねた日々の純度を測りにね。