未来を生きるか、過去に生きるか:相場の空気感をその身に感じるシステムトレード

シストレ検討会

ご存じのように現在、仮需デイトレと実需スイングを平行して運用している。

この2つの合一をどのように進めていくか。


そう考えながらがむしゃらにやっていたら、精根尽き果てた時期が最近あった。

特に仮需デイトレ銘柄でビビッとくるものがないとき、見つかるまで際限なく時間を使ってしまう。


疲れ果てた末にたどり着いたのが、一通りのルーチンで見つからなければ無理に仕掛けず、スイング玉の仕掛けやメンテナンスに時間を費やすという方法。


場中も同様に、機械的なオペレーションになっている銘柄を、そのときの相場状況や銘柄の需給、テクニカルなどを鑑みて、きめ細かくメンテナンスしている。

これで期待値が引き上がったかどうかの証明は難しいが、常に相場の空気感を一定の距離感で感じ続けることはできていると思う。


この空気感が意外とバカにならないのだ。

直近であれば情報セキュリティ関連の盛り上がりである。


デイトレで仕掛ける場合は当然として、実はスイング玉の中に知らないうちに情報セキュリティ関連と連動し始めた銘柄があったりする。

この場合、メンテナンスを通じてその銘柄をFFRIなどと平行して監視していると、テーマの息づかいを感じることができるのだ。


テーマの効果がもう一杯一杯であれば、そのファクターは今後負の期待値をもたらすため、一部ポジションを落としてみる。

次の物色テーマを感じ、スイングトレードリストや既存ポートフォリオに入っている銘柄があったなら、ポジションを積み増してみるなど。


テーマは足が速く、定式化も困難なため、ルールベースのシステムに落とし込むのは難しいだろう。

だからこそ、その感覚を研ぎ澄ます意味がある。


我々がトレードシステム構築に誘引される根源は、己の意思決定からもたらされるフィードバックが怖いからだ。

50%の割合でトレードが間違っていると指摘され続けたなら、早晩精根尽き果てるだろう。


誰しも自分を否定されたくはない。

だから、日々意思決定をしていない振りができるルールベースのシステムを求める。


相場の空気感を感じるという行為は、その対極にある。

自分の感覚とそれに基づく意思決定がすべて。

見て見ぬ振りはできず、すべてのフィードバックをその身に受け止めなければならない。


その覚悟を持って未来に対峙する者と、検証結果という過去にすがる者とでは、見える世界が天と地ほどに違って当然なのだ。


未来を見据える生き方と、過去を懐古する生き方。

トレードを通じてシステムトレーダーに問いかけられているのは、裁量の余地の有無などという矮小なものではない。

己の生きる姿勢という、大いなる選択なのである。


ま、どちらを選ぶかは読者次第だがね。