狂気を宿した社長の類型に学ぶ、将来のクリアなイメージを持つことの重要性(2)


適当な動画の素材をその怪しい男の会社に送ってみた。

最終的に社長が見るらしいので、社長が喜びそうなフレーズを差し込むことも忘れずに。


しばらくして納品された動画は、なんとWindowsムービーメーカー(フリー)で切り貼りされた紙芝居だった。

これで社長からいくらをぼったくったのだろう、会社の利益の無駄遣いだと、日々頑張っている社員たちはがっくり肩を落としてしまった。


とりあえず体裁を整えるため、音声や画像を、自分なりに動画編集ソフトを使って編集し直す。

この作業、やり始めると結構楽しいことに気づく。

最初は適当に作る予定だったが、自分の過去の成功体験からスタートし、それに紐付く音楽を乗せながら、最後はなりたい自分をクリアにイメージする画像で締めた。


自己啓発やマインド系の連中の言っていること自体は別に間違っていない。

売るべきターゲットに合致しない内容の齟齬により、問題が深刻化するのだ。


ビジネスは先に需要ありきなので、自分としては買う側に責任があると考えている。

とはいえ、連中にだまされた不憫な人を目の前にすると、やはり憤りを感じてしまう。

マクロでは必要悪だが、ミクロではそう簡単に割り切れない自分がいるのも事実。


防衛策としては、情報発信者とその内容を分けて評価し、今の自分が必要とする要素をフレームワークで過不足なくとらえ、その要素に彼らの提供する商品やサービスが適合するかどうかを考える。


フレームワークは、自分のあるべき未来をクリアにすることで見えてくる。

身につけるべきスキル、必要な仲間、準備すべき資材など、未来がクリアならば必然的に要素に落とし込めるはず。


そして、その作業は決して外部の人間にアウトソースすることは出来ない。

フレームワーク化は、この地上で唯一無二の固有性を持った自分のみが発する内なる声の明文化に他ならないからだ。


ここを他人に依存するのであれば、申し訳ないが、もはや救いようはない。

骨の髄までしゃぶられる、餌としての役割を神から与えられたのだろう。


クリアな、あるべき未来の自分を形作るフレームワーク。

システムトレードはそのフレームワークにおいて必須の要素かどうか。

検証作業の手をしばし止めて、深く深く考えてみよう。