フリーランストレーダーの時間管理術(1):自由とは意思という認識

フリーになる人間が誰しもぶつかる壁として時間管理術がある。

長年サラリーマン、それ以前に小学校から大学、大学院まで外部環境によって定められていた生きる時間割を、40間近の今、初めて自分で決めなければならない。


奴隷養成機関によって完全に訓練されきった生活形態を、自らで意思ある人間らしいものへと再構築していく。

仰ぎ見るがごとき壁だ。


20代の頃、一度フリーランスになったことがあり、そのときは完全に生活スタイルが崩壊してしまった。

昼過ぎにもぞもぞと布団から這い出て、3時くらいにコンビニ弁当を食べ、夕方からゲーセンでメダルを増やし、日付が変わる閉店と同時に帰宅、そこから2、3時間仕事をやって眠くなったら寝る。

夢と現実の境目がわからなくなり、夢遊病者のように、この無意味なルーチンをこなしていた。


そのときと今とで決定的に違うのは、何だろうか。

「自由とは意思である」という認識の有無なのではないか、と今は考えている。


過去のフリーランスは、単純に会社が嫌で嫌で仕方なくなって飛び出しただけ。

その後のプランも生きる道標もなく、ただ闇雲に逃げた。

待っていたのは自由ではなく、凧の糸が切れたよな漂流の日々だった。


一方今は、自分の体が何をもって喜びうるかが見えており、そのために日々のちょっとした成長もまた楽しめる状態にある。

逃げ出した状況だけを端から見れば同じだが、今よりもよき未来が待っている方向がクリアになった状態での逃避という意味では全く違う。

自分でしっかりと的盧の手綱を握りしめ、方向性を定め、かの地へ全速力で逃げる。


その逃避行には意思がある。

だから、迷いも試行錯誤も過ちも、歩を進める糧となる。

だから、体が喜んでくれる。


とはいえ、残された時間は限られるので、効率性を引き上げなければならない。

そこで、試みとしてこれを使ってみる。