自分は、平日は基本ひとりで過ごす。
家族以外とコミュニケーションを取ることはまれだ。
トレードもブログもコンテンツ作成も読書も、すべてひとり。
それでも、不思議と寂しさはない。
日々、自らの成長を感じながら好きなことに取り組んでいるし、実は寂しさを感じる条件に、ひとりであることは含まれないからだ。
寂しさとは、他者との関係性からの隔絶によってもたらされる。
そして、その関係性には相互の価値交換が必須となる。
会社や学校で大勢の仲間と会話をしていても、虚無感を伴った寂しさを感じる瞬間がないだろうか?
そうだとすればそれは、そのコミュニケーションで、相互に“無価値”を交換し合っているからだ。
コミュニケーションとは何も言語を通じたものだけではない。
むしろ非言語のコミュニケーションの方が情報量としては圧倒的に多い。
また、リアルタイム性も不要だ。
LINEのたった一行の通知に、心安まることもあるだろう。
そう考えると、相互に価値を交換するコミュニケーションとは、顔を突き合わせて直に会話をすることだけではないことに気付く。
もっと自由でもっと広くとらえていいのだ。
今、リアルタイムで走らせている、過去教材のコンテンツ提供。
自分の思いを魂を込めて動画にパッケージ化し、落札してくれたみんなに届ける。
彼らがコンテンツから学びを得て、そのコンテンツに対する気付きを投稿してもらう。
そして、その気付き投稿に対して、渾身なりの考え、思いを添えて、再度みんなに届ける。
自分のシステムトレードに対する技術、思考が持つ価値には自信がある。
そして、みんなから投稿してもらう気付きもまた価値を持つ。
なぜなら、価値とは目的共有を前提とした思考の差異への抵触よってもたらされるからだ。
トレードの技術を高めたい気持ちを持つ仲間同士、お互いの思考を交換し合うコミュニケーション。
思いを共にする仲間の、異なる思考に触れたいという欲求は普遍。
ゆえに、これ以上に高い価値を持つコンテンツは存在しない。
そんな極上のコミュニケーションシステムをより堅牢にすべく、今日もひとり、みんなの投稿に心躍らせながら丁寧に回答していく。
コミュニケーションとは、より自由でより広いもの:価値交換の新たなる形態の提案
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