8割はサラリーマンの仕事に、1割はPPCアフィリに意識が取られ、相場と向き合うエネルギー量は1割という状況。
ツイッターのチェックも最近はせず、絞り込んだ指標をEvernoteに貼り付け、それを眺めて相場の息吹を感じることだけに、その1割の意識を向ける。
目に見える収益化の仕組みや、若者が何かを感じてくれる仕掛けを施すまでは、岩にかじりついてでもサラリーマンを続けるつもり。
理由はともあれ、採用してくれた会社に対する最低限の義務はしっかり果たしていきたいので、今は8割のエネルギーをサラリーマンの仕事に振り向ける。
そうなると、このブログに書くネタも抽象度の高いものにならざるを得ない。
ただ、今自分がチェックしている相場師のブログも高い抽象度で語られており、そこに書き込まれているコメントを見ると、ごく一部ではあるが同じ空気感を持った凄腕の相場師が集まっている模様。
自分が主催しているトレードスクールもまさにそんな場であり、回を追うごとに質を高めていくため、自分の概念を拡張しさらなる深さを追い求めていく。
トレードスクールとは違い、会社組織はベクトルの異なる人間の集まりだ。
自分がソシャゲ運営メンバー50名程度の前で、実際に施している施策と絡めてソーシャルマーケティングのエッセンスを話していても、やはり一部の者はスマホをいじったり居眠りをしたりしている。
トレードスクールでは一言一句自分の話を聞き逃すまいと全員が熱を発し前のめりで聞き入っているのとは対照的な空気感だ。
まあ、初動はいつもそんな感じなのでめげずにぶつけていくだけだし、それでも自分の成長をあきらめていない半数程度の若者は目を輝かせて聞いてくれているので、その姿勢をエネルギーに日々頑張っている。
逆に受け手が求めているものは何かに意識を向けざるを得ない状況は多くの学びを与えてくれる。
トレードスクールは自分の気の向くままに4時間しゃべり倒しても成立するが、ベクトルのそろっていない大勢を前に話をするとなると、そうはいかない。
彼らの中に眠る共通項は何かを探り当て、そこに一点突破で杭を打ち込むにはどうすべきかを必死に考える。
かつての自分を含め、専業トレーダーの多くに欠けている視点がこれであり、札束をわしづかみにしていながら苦悶の表情を浮かべてしまう理由もまたここにある。
想像だが、自分よりも遙かにレベルの高いトレーダー達が大挙して我がスクールに参加する理由の一端もここにあるのかもしれないと思いつつ。
投下労力と得られる報酬のバランスが最も悪いサラリーマン。
だからこそ金銭的な部分以外の領域で多くの学びをわしづかみにしなければ、本当にただ搾取されるだけの奴隷と化してしまう。
再度トレード10割の生活に戻ったとき、そしてそのときに開催しているであろうトレードスクールの生徒を前にしたとき、日本で最も厚みのあるトレーダーだと言わしめる。
そんな日を夢見て、今日もサザエさん症候群と戦っていこう!