トレードスクール残り3回、固有知披露から集合知統合への流れをどうマネジメントすべきか、思案中。
初の試みだけに試行錯誤ではあるが、最高の終わり方に持って行ける感触はある。
お互いの知見をぶつけ合う集合知トレーディングのカリキュラム。
個々人のトレードスキルに大きな差がある状況で、この取り組みを成功させるのに絶対的に必要な要素は相互信頼だ。
スキルの高い人間は特に、自分が有用な情報を提供しているのに得るものが少ないと感じてしまうため、難く口を閉ざすのが通例だろう。
これが人間の本質ならば、打つ手はない。
だが、本当にそうだろうか?
深く考えてみる。
誰かに自分の知っている有用な情報を提供し、相手が喜んでくれる顔を見たとき、誰しもこの上ない幸せな感情が湧き出るはずだ。
お金にはならないのに、嬉々として地元の子供達に野球や柔道を教える大人はいつの時代にもいる。
その感覚は、一定の年齢になれば誰しも理解できるだろう。
また、自分の得た技術や知識は決して自分だけで獲得したものではない。
たまたま自分がその恵まれた環境にいただけだとしたらどうだろう。
ハーバード大学教授で政治哲学者のマイケル・サンデルは、マイケル・ジョーダンの年収100億円のうち、ジョーダン個人に帰属する金額はいくらなのかと問うた。
米国の税法上、50%は国に召し上げられる。
つまり、最低でも半分はジョーダンに帰属していないと判断されているのだ。
もしジョーダンが100年前に生まれていたならば、スラム街のバラックに住み、一般的な白人以下の収入しか得られなかっただろう。
もし米国以外の国に生まれていれば、シカゴ・ブルズに所属することすら困難だったはずだ。
もし難民キャンプに生まれていたら、ボールに触れる前に息絶えていたかもしれない。
そう考えると、ジョーダンは“たまたま”最高の時代、最高の国、最高の身体能力を備えていただけだともいえる。
ノブレスオブリージュとは「高貴なる者に課せられた義務」と訳される。
マッカーサーを叱りつけた逸話を持つ白洲次郎は、常に「持つ者は持たざる者に分け与える義務がある」という信念を胸に秘め、戦後日本の再興に尽力した。
「持つ者は持たざる者に分け与える義務がある」
むしろ、こちらの方が人間の本質ではないだろうか?
トレードスクールは相互の信頼関係が構築できているので、知るものが知らざるものに教える仕組みはすでに構築済みだ。
初心者の生徒の前向きな姿勢を感じ取り、先駆者の生徒は問われたことに何でも答えてくれる。
「朝株トレード手法」の方でも、ハードルは高いが、お互いが、既存の知見、感じた感覚、結果の共有などを通じて、トレードの世界の非常識でありながら人間の本質に迫る、そんな仕掛けを打ち出してみたい。
幸い、質問してくれる方の姿勢もよい。
彼らは“自分はこう思う”という自己の固有性を添えて質問してくれる。
なので、うまくマネジメントできればよいサイクルに持って行けそうな予感はある。
自分の持つ情報をひた隠しにして、他人の有用な情報を嗅ぎ回る。
みんな、本当はそんな姿勢を正したいと思っているのではないだろうか?
そんな気持ちの自分が心底嫌になる瞬間があるのではないか?
下手なノックながらも、草野球を無心に教える酒臭いオヤジが好きだったのではなかったか?
難易度は高いが、それだけにやりがいのある取り組み。
是非やってみよう。