自分のトレードスクールでは授業ごとに課題図書を2冊渡している。
ただ読むだけではなく、3色ボールペンで色分けしてもらい、主観と客観を分離してインプットさせる。
さらに、その課題図書から抜き出した要点について、毎回全員にその意図を問う。
おなじ書籍を読んでも多種多様な見方が存在し、それをお互いに共有することで、深い知識の定着を図る。
読書は基本ひとりだけの孤独な世界に閉じがちである。
やれるとすれば、線を引いたりアウトプットをノートやブログにまとめるくらいが限界だろう。
人間の仕事が急速に機械に浸食されつつある現代、天才達の英知をリバースエンジニアリングされてしまった先の未来を想像したとき、我々個人の存在意義はますます薄まっていく。
自分は常々、人間個体そのものに存在意義はないと考えている。
人間が存在する意義の本質は、人間と人間とのつながりの中で交わされる相互の価値のやり取りの過程にこそあるのだ。
脳がその細胞ではなく、シナプス結合によって交換される電気信号に意味があるように。
それを現代は貨幣を絶対的な価値交換の媒介物ととらえるから、多くのネガティブな問題が引き起こされる。
異なる価値をおなじ尺度で無理やり一意に突き合わせる行為はどう考えても無理があるだろう。
もっとシンプルかつダイレクトに共通の嗜好性を持つ人間と人間とが顔を突き合わせ、“自分はこう考える!お前はどうだ!”と魂をぶつけ合う行為によって必然の等価交換を実現すればいいのではないか。
桂小五郎や高杉晋作が吉田松陰に日本のあるべき未来を問うがごとく、大木大助やイソップが滝沢賢治に真のラガーマンを問うがごとく。
この価値交換過程は、電王ponanzaをもってしても絶対に学習しえない。
なればこそ、強力な細胞たちが終結する我がトレードスクールと彼らの価値を媒介するカリキュラムに人間たりうる価値が生まれるのだ。
よし!目指すべき方向性は決まったぜ、第六期のみんな!