ターゲット定義(2):非ターゲットを定義する

知の逆転に学ぶ相場師の思考

ターゲット定義と同じタイミングで「非ターゲット定義」も実施する。

自分が放つメッセージに響かない人、関わってもお互いに意味が薄い人である。


これをクリアにしておくことで、ターゲット定義同様、使うべき言葉や伝えるべきメッセージもクリアになる。


たとえば、このブログでは、たまに何の説明もなしに、門外の読者には少々難解な言葉を記述する。

MECE、プロダクトローンチ、クープマン目標値、クリティカル・コア、コレスポンデンス分析、共分散構造分析、自己組織化特徴マップ、マルチファクターモデル、セクター内リターンリバーサル戦略・・・。


わかりやすさを経典の第一教義とするセルフメディアにおいて、こういった用語の使用はアクセス数を抑制するため禁忌とされている。

それでも、非ターゲットを定義するならば、必然の所作となる。


このブログの非ターゲットは「自ら思考することを拒否している人物」である。

儲け話を嗅ぎ回るだけで、自ら思考し行動しない人物は、関わり合っても価値の交換もできないし、下手をするとクレーマーにさえなってしまう。

これはお互いにとって不幸だ。


彼らは自らの既存概念にない言葉を見ると脊髄反射で拒否反応を起こす特徴がある。

したがって、前述の難解な用語を説明なしに用いることで、このブログから距離をおいてもらうのだ。


逆に自ら思考する人物は、分からない言葉が出てきたらググるなりの行動を起こすだろう。

未知の概念世界は畏怖の念を抱かせるものだが、それでも踏み込んでくる人物。

彼らになら伝えたいメッセージが響くだろうし、たとえ技量の差はあっても有意味なコミュニケーションを楽しめる。


人は社会的な生き物である。

お互いの関わりの中で高い価値を生み出さなければ生きている意味さえないだろう。

ならば、己との交互効果によって価値を生み出す人物とはいななる素養、特徴を備えているべきかはしっかり定義すべき。


そういった意味でもサラリーマンは、無意味な、下手をすると負の価値を社会にばらまくために人との関係性を強要される。

とはいえ、関係性をゼロにはできなくとも、能動的に重みを変化させ価値の最大化を図ることはできる。


この意識を持つだけでも、なんぼか通勤電車から見える風景が変わってくるだろう。

さすれば、非ターゲットだった日曜夕方のサザエさんを自らのターゲットとして定義づけられるのではないかな。