以前Kindleペーパーホワイトを購入した際に併売した、梅原大吾の「勝負論」を再読。
そこで語られていた“遊び”という言葉が印象的だった。
ここでいう遊びとは、車のハンドルの遊びと同義である。
効率性だけで言えば必須ではないのだが、それがあることで技や思考の幅が広がるという意味。
羽生善治も同じように、大切な棋戦において、理外の理のような手を打つという。
相手を攪乱するという意図ではなく、自分の将棋を高みに押し上げるために打つ一手だ。
もちろんその一手によって負けることも多々あるのだが、理外の理に思考を飛ばすことで、定石の外側いを取り囲む遊びの領域を拡張させる。
ウメハラはその遊びの領域の拡張こそが“勝つ”ことの真の意味だという。
だから目先の勝ち負けにはこだわらないし、勝負に負けても自分の勝ちを確信する。
そして、誰よりも広いその遊びの領域によって、世界一のゲーマーとして君臨し続けるのだ。
“積み上がった損失を早く取り返そう・・・”
目先の利益に気を奪われすぎている今の自分だからこその染みいる言葉だった。
最近、具体レベルでは全く未知の事象でありながら、抽象レベルでは利益が取れると確信できるトレードに多々気づくようになった。
これも日々のたゆまぬ取り組みの成果だろう。
しかし、今まで見たことがない事象であるため、厳しめの売り指し値を入れてしまい、結果、強烈な大陰線を取り逃してしまう。
遊びを概念拡張と捉えるなら、少なくとも半分のポジションは寄り成りで入れて概念を拡張する、すなわち自分の中での“勝ち”を手に入れるべきだ。
ウメハラや羽生ならそうする・・・、いや彼らなら迷わずフルベットだろう。
その方が、密度の高い勝ちを手に入れられるのだから。
日々多様なトレーディングエッジに気づける自分にはなりつつある。
次はそれらを素材として、もっとおおらかに遊び、そしてもっと広く概念を拡張していく。
勝つことの真の意味、なんとなく見えてきたぞ。