

定期的に思い出しては解釈する言葉がある。
「結果の出ない人間のマイペースは一生結果の出ないペースだ」
去年参加した富豪の会の先生が伝えようとしてくれたメッセージである。
情報ソースは明かせないが、とあるとんでもない額を稼ぎ出すトレーダーは常に許容量一杯フルベットするという。
勝率は悪く大負けする日もあるが、最終的には誰よりも多くを稼ぎ出す。
ギアをトップに入れ、ブレーキを破壊し、ひたすらアクセルをベタ踏み。
それが彼のマイペース。
翻って自分はどうかと自問する。
負けても金額的、精神的にたいして傷を負わないポジション量をベットする。
リスクをできるだけ押さえて、安定的にコツコツ利益を積み上げる。
これが自分のマイペース。
さて1年後、彼と自分とのスキル差はどうなるだろうか?
確実に、かつ絶望的なくらい引き離されるだろう。
言わずもがなの自明の帰結である。
家族がいながら会社を辞め、定期収入を絶ち、背水の陣で臨んでいる現状の取り組みに、少しずつ自信を持ちかけてはいる。
それでも・・・、それでもサラリーマン時代のマイペースから一段ギアを引き上げているに過ぎない。
恐る恐るアクセルにちょこんと足を乗せ、いざというときのためにブレーキをガッツリ踏める体勢を維持している。
“もしものときには、またサラリーマンに戻ればいいし・・・”
たまに自分の取り組みの危うさを心配してアドバイスをいただくことがある。
孤独なネオニートには心に染みいる、厳しくも暖かい言葉だ。
だが、その心配の言葉を頂戴するとき、自分は世間一般から見れば異常な生き方をしているのだなと安心する。
そう、“安心”するのだ。
少なくとも良識ある生き方をしている人々よりも、今、確かにギアが一段引き上がってきているのだと。
“ギアをトップに入れ、ブレーキを破壊し、ひたすらアクセルをベタ踏み”
あとはこれを自分のマイペースにできるかどうか。
まだまだぬるい。
四方八方から“リスクが髙すぎる!死ぬ気か!”、“いづれ破産するぞ!狂人!”、“もしものとき、家族はどうなるんだ!人間のクズ!”レベルの心配(?)のシャワーを浴びたとき、最速成長のマイペースを確信できるのだろうな。
ククク・・・、狂気の沙汰ほど面白い!