FXの世界には、株や先物とはまた趣向の異なるトレーダー達がいる。
本物のトレーダーであれば、両者は被ることはまずないので、ブログやYouTube動画などを新鮮な気持ちで見入ってしまう。
最初に入った会員制サービスのトレーダーは、とにかく毎日プラス収支で終えることに徹底する。
しかも、何十回と数をこなして期待値へ向けて統計的に収束させるのではなく、ここぞという場面で一撃で仕留める。
それで毎日ほぼ勝てるのだから、自分のような大数の法則をよりどころとしたシステムトレーダーには衝撃的だった。
昔、漫画「アカギ」を例にブログ記事にした記憶があるが、わずかなエッジを数をこなして期待値に収束させる行為は、今というかけがえのない瞬間を薄めて生きるているようにも思える。
各人のトレードスタイルはそのトレーダーの生き様が表現されるし、またそうあるべきだ。
ゆえに、確率・統計の前提をよりどころとする自分のスタイルは、常に“今を薄める生き方”の表層ではないか?との問い、葛藤との戦いでもある。
さらにシステムトレードは、過去のレジームが近未来にも続くであろうことを前提におく。
ゆえに、過去の慣習や既得権益にしがみつき、自ら未来を想像し創造する力が失われる。
株を中心にトレードしていた頃は、最終的に未来の“需給シナリオ”の描画にエネルギーを注げていた。
次の決算に向けての四半期の需給、企業が生み出す社会的価値の継続性の需給、グローバルと日本との対比による資金需給、個人投資家の懐具合を勘案した需給など。
その株に関わるすべてのプレイヤーの吸う息、吐く息を己の肌に感じながら。
しかし、FXの場合は単純なチャートパターンで勝てるので、徐々に価格変動の本質である需給に目が向かなくなっている。
たまに、トランプ会見やイギリスのEU離脱、最近ではイギリスの選挙など、イベントに向けての需給を読んでトレードすることもあるが、所詮その程度である。
株からFXへの新たな取り組みの転換は、否応なく「自分はトレードに何を求めるのか?」との問いへの回答が求められる。
技術的な難易度はFXの方がはるかに低い。
ゆえに、メンタルマネジメントの比重が極めて大きくなる。
日々のルーティンを確立し、それを愚直なまでにこなし続けるメンタル。
日々サラリーマンとして外部環境に振り回される立ち位置にいたからこそ、潜在意識が確固たるルーティンを求めFXへの取り組みを勧めてくれたのかも知れない。
その直感に従い、今年は愚直にルーティンを続けようと思う。
“単純なルーティンの継続”こそが今このときを濃くする聖杯なのかもな。
今このときを濃くする方法:未来への想像・創造力を失いかけそうなFXへの取り組み
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