アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題 : 大塚 英志
『ちゃんとした形のモノを、ぶちこわすから変形というのであって、こわすもとのモノがなければ、こわせるはずがありません。』
おたく文化の鬼才、大塚英志が、永遠に成長しえないアトムと手塚の戦争体験との関わりや、戦後の日本まんががいかにしてディズニーとの分岐を果たしたのか、あるいは果たさざるをえなかったのかを切々と説いていく秀作。
以前、相田みつを展を見に行ったとき、彼の息子が書の解説をしていた。話を聞いてみると、相田みつをの展示を見ている客の中には「こんな文字だったら私にでも書ける」という人が少なくないのだそうだ。
しかし、相田みつをは最初からあのような崩れた文字を書いていたわけではなく、若い頃はむしろ基本に忠実な書道家であり、その道で様々な賞を受賞している。
同様のことはゴッホやピカソにも言え、極めてレベルの高いデッサン力があるからこそ、彼らの個性的な絵は創出されるのだ。
人であるからには個性的であるべしという風潮は今でも根強い。自由で型破りで誰にも縛られない生き方はかっこいい、らしい。多くの人たちは社会の様々なしがらみの中、がんじがらめに生きているがゆえ、こういったアンチテーゼとしてのメッセージは強烈に心に突き刺さるのだろう。
しかし、真に型破りで人の心をうつことのできる人間は、誰よりも型をしっかりと身につけているものなのである。羽生善治は定石を誰よりも知り、吉本ばななはプロットの大切さを誰よりも重んじ、水戸光圀は必ず敵を痛めつけてから印籠を出す。型破りとは、型を知っているから破れるのであって、そうでなければそれは単なる思いつきの独善なのである。
誰も思いついたことのないようなテクニカル指標を見つけることが儲けるための必要条件であると多くの人は考える。人と同じことをしていては儲けられるはずはないからだ、と。
それでも、守るべき型であったり学ぶ上での原理原則というもののはトレードの世界でも存在しうる。そして、適切な型を身につけていれば、奇をてらわなくても単純なシステムで利益を積み上げることは可能なのである。
そういった原理原則に基づくシステムトレードのありかたというものを、近々開講するトレードスクールではお教えしたいと思う。参加いただく方々には、まず自由であることを捨て、しっかり型にはまってもらおうと思うので、ご期待あれ。