己のコンセプトを体現する限界を感じた専業トレーダー生活:次なる一手に打って出る!

子育て専業トレーダー

前日準備完了の実需トレードへ完全移行。

レスポンストレードも雑念になりそうなので、しばらくお休みしようと思う。

スクールも終わったことだし、道義的に許されるかな。


トレード以外の活動として、データドリブンの組織運営を実現すべく、完全ドアノックで飛び込む準備を進めている。

各方面につてはないことはないのだが、今の裸の自分の市場価値を知りたいので、“このおっさん誰や?”からのスタートを選んだ。


年齢も年齢なだけに見向きもされないかと思っていたが、会って話を聞いて貰える機会だけはかなりいただけた。

それだけ日本の景気も良くなっている証拠だろう。

今回ほどアベノミクスに感謝する気持ちが高まったことはない。


さて、専業トレーダーは日常の中で自己を客観視する機会が乏しい。

結果、稼げるようになると、自動的に偉い人間にでもなったような錯覚に陥ってしまう。

錯覚というより、平時に自己承認欲求が満たされないことから、偉い人間のはずだという願望が現実のような気がしてくるのだ。


これはとても危険なことである。

社会性を失ったネオニートがしたり顔で人生を語る。

客観的に見てかなり危ない。


自分はトレードスクールなどで自分に興味を持ってくれている人達と長く関わっているため、尚更である。

ちょっとした意見をいただくことはあるが、下請けの仕事をしていた頃のようなゴミを見る目で見下されるような機会はここ何年も経験していない。


人間誰も自尊心を切り売りしたくはないが、普通の人達は大なり小なりそんな環境の中で折り合いを付けて生きている。

専業トレーダーは、少なくともお金のために人に頭を下げる必要はないため、非礼な人間を避けることが出来るし、自分を認めてくれる人とだけ関わっていればいい。


結果、ちょっとした自己否定に出会うと、免疫がない分感情が尋常なく揺れ動く。

皆で作り上げている場の空気はおかまいなし、見えているのは己の自尊心のみ。

そんな導火線の短い凄腕トレーダーを何人も見てきた。


“人と人との関わりの中に価値を生み出す”という自分のコンセプトに照らし合わせると、普段自尊心を傷つけられる機会にある人達の気持ちを察し、彼らのような普通の人達との間にこそ何かを生み出す意味があるのではないだろうか。


こんなコミュ障のおっさんを受け入れてくれる環境があるかは正直未知数。

だが男40代、少なくとも独善を撒き散らして悦には入るだけで終わりたくはないものだ。

今日も夜な夜な、ほこりを被った過去の実績の棚卸を頑張ろう!