現在集中して取り組んでいるレスポンストレードにおいて、自分は逆指値を入れての損切りはしていない。
手動での損切りも入れておらず、どれだけ持ち上げられてもひたすら耐えている。
正確には引け間際に逆方向の強さを感じたら決済するので、不利な状況を放置しているわけではない。
が、“ポジションを取ったら最大損失を考慮して損切りラインを決める”という一般的なセオリーには反しているだろう。
鬼ホールドの理由はいろいろある。
・ボラタイルな銘柄での逆指値はスリッページが大きく期待値を押し下げる
・一時的な仕掛けが入ったとき、一緒にイナゴタワーを形成してしまう
・勝率が下がる
などなど。
だが、最も根源的な理由は、投機家の収益源との相反性にある。
投機家の収益はリスクを引き受けることに起因する。
リスクとは一義的には分布が既知の不確実性である。
が、自分はそういったドライな定義ではなく、我々が引き受けているのは他者が忌避する恐怖や不安だと捉えている。
その他者が忌避する恐怖や不安を、お金をいただいて引き受ける。
投機家は保険の売り手のようなビジネスをしているのだ。
ポジションを取って自動的に逆指し値を入れる。
損失が限定されている(かのような)このオペレーションは、大いなる安心感がある。
自分の思惑と逆方向に株価が動いて損失を被っても、それは心理的に十分耐えうる額に限定されているから。
自分はこの安心感にどうしても違和感を憶える。
安心しながら利益を得る行為からは、“ダメダメ主婦が一日たった5分でドカンと大儲け!”的な空気すら感じてしまう。
もちろん、この異常な考え方を読者にお勧めしているわけでない。
損切りをしっかり入れても利益を得ることは十分可能だし、資金を市場に晒している以上、リスクは取っているのだから恥ずべき行為でもなんでもない。
考えるべきは、カリスマが言ったとか、有名な書籍に書かれてあったからという理由だけで自動的に自分の所作を決めるべきではないということ。
自分の手元に積み上がる利益の源泉は何なのか、それに対して自分の固有性を持った価値の提供とはいかにあるべきか。
そこを深く深く突き詰めるべき。
深耕した思考から導き出された結論に依拠するトレードスタイルが自分らしさとなり、普遍的で固有性を持った哲学へと昇華されのだから。