物語るトレーダー:すべてに満たされているはずの専業トレーダーは何故苦悶するのか

相場の神様へお祈り

現代の労働者の疲れは、ハードワークによるものだけではない。

疲労の最大の要因は、「物語」の欠落である。


我々は普遍的に、紙面の向こうのワンピースに心が躍動し、銀幕の向こうのアナと雪の女王に心ときめくだろう。

いわんや自分の成長忌憚の文脈ならば、なおさら心沸き立つ物語を欲するはずだ。


物語の本質は欠損回復のプロットである。

かつて自然に発生した欠損を、今は自分で探しに行かなければならない。

会社や地域社会は、もはやその欠損の気づき使役機能を失った。


しかも現代日本においては、生存の危機にまつわる欠損は存在しない。

物理空間に存在しないものを探し当てるのは、サハラ砂漠でひとかけらのダイヤを見いだすがごとき困難を極めるだろう。

平凡な日常を欠損として物語を発動させた「涼宮ハルヒの憂鬱」が一世を風靡したのは、ある意味時代の必然だったのだ。


翻って、我々専業トレーダーが「物語」を発動させるのは、社畜に輪をかけて無理ゲーである。

物理的には完全に満たされ、しかも他者との関係性を完全拒否できるオプションを行使している。

物語の最重要要素の欠損だけでなく、使命、味方、敵、最終決戦がことごとく不要な世界に生きてしまっている。


これまで、すべての欲望を充足できるはずの一流トレーダー達が、発展途上である渾身主催のトレードスクールや教材に大挙して集って来た。

もしかしたら、トレーダーとしてのあるべき物語を共に物語ってくれるのではという期待があったのかもしれないと、最近思い始めた。


自分の好きなトレードの技術を磨き上げる日々に喜びを感じ、結果、分厚い札束をしっかりピラミッディングしていく最高の生き方をしている彼ら。

しかしそこには、天から与えられた使命、共に高みを目指す仲間、共に乗り越えるべき困難、ひとりでは勝てない強大な敵が存在しない。

そう、彼らの生活の中には物語を構成する要素が皆無なのだ。


だから、なんとなく満ち足りず、ふとした瞬間に息苦しさを感じ、明日への希望さえ見失いかける。


今年の我がテーマは「洗練」。

そのテーマに紐付き主催するトレードスクール第七期および新作教材の洗練の方向性は必然的に決まった。

ズバリ、「物語るトレーダー」。


物語の構成要素を洗練させ、必然と自発に導かれてそれらの要素を超高熱の仲間と共に組み立てる。

中島みゆきはそれを「仕合わせ」と呼んだ。


共に仕合わせる仲間との出会いに早くも興奮気味の2015年元旦。

超上質な物語を一緒に物語ってくれる方々、今年も是非是非よろしく!