究極相場師へ向けた概念の拡張と深耕:板読みから大口トレーダーの息吹を感じる


とある専業トレーダーのブログで、“相場師を名乗るなら相場に関わるすべての知識を獲得すべき”といった記述があり、とても印象に残った。

それに触発されたわけではないが、今、トレードに対する広い視点を持とうと、トレードに関するあらゆる概念を獲得する勢いで情報に触れている。


現段階ではデイトレを中心に、朝の1時間程度を費やして、歩み値や板情報を、事前仮説に照らし合わせて食い入るように見ている。


HFT真っ盛りの今、板読みのような前近代的なアナログ技術に否定的な人も多いだろう。

だが、否定している人達は、浅い技術で市場から退場させられたか、あるい深く知ろういう意欲がそもそもない。

思い込みによる独善は成長を止めてしまうので、厳に戒めたいところ。


実際、大口トレーダーの行動原理を頭に入れ、仮説を立てて眺めていると、いかに相場をコントロールしたいのかという彼らの思考プロセスをまざまざと感じることが出来る。


チャートに関しても同様である。

この最重要サポートラインをいったん割り込んでストップロス注文に火をつけ上値を軽くしたいのだろう、初動のレジスタンスブレイクはどうも失敗したっぽいので再度落としてポジションを作り直しているな、などなど。

無機質な数字の裏で繰り広げられているであろう、苦悩や歓喜をまざまざと感じるものだ。


トレードが将棋やチェスト異なり不完全情報ゲームである以上、必ずどこかで人間の意思を介在させざるを得ない。

それを所与としたならば、一定の制約条件下における人間の行動原理とはいかなるものなのかを広く深く追い求める必要がある。


広さは新規概念の認識により、深さは既存概念の交互効果による。

両者をバランスよく、それでいて圧倒的な量で求める。


情熱を傾けられる対象に、生きる時間のすべてを合理的に注ぎ込む。

今日も一歩、究極の相場師へとにじり寄ったか。

問いかける日々の愉しきことよ。