サラリーマンを忌避した真の理由:ハイブリッド相場師の矜恃


明日は新宿で、富豪の会OBとの月例会という名の飲み会。

各自1ヶ月の目標を定めて、その進捗確認を行う。

報告に対してみんなからアドバイスを貰い、共にスキルや取り組みの質を洗練させる。


ここでも意図せず集合知の思想が根付いてることに気づく。

人間は社会的な生き物ゆえに、ひとりでは生きていけない。

自立前提の者同士の互助会。

心地よいひとときだ。


メンバーの大半はサラリーマンを辞めて、自分の力だけで生活を成り立たせている、またはそれを本気で目指している人たちだ。

みんな、決して特殊な能力があるわけではない。

あるのは自分の両足で立って生きたいという強い思いだけだ。


自分で耕した畑から取れる収穫物で生きる。

ただそれだけの、生き物として当然の生き方を“目指す”必要がある現代。


ソ連という大いなる社会実験を経て、資本主義社会が完全勝利した。

本当に本当だろうか?


少なくとも富豪の会のメンバーは資本主義がもたらす非人間的な社会のあり方に違和感を持ち始めた。

だから先は見えずとも飛び出した。

そのときである。

飛び出すという“己の意思”が確実に実在を始めたのは。


もちろん、経済活動の枠組みの中で豊かさを目指す上では、この社会構造から逃げることは出来ない。

ならば我々は、飛び出したが逃げ出せない社会構造の中で、いったい何を目指すのか。


“己の意思”の純度を高める行為ではなかろうか。

言い換えれば自分という固有性の表現のために、残された人生の時間を使いたいのだ。


サラリーマンからドロップアウトした我々が忌避したのは、資本主義社会ではなく、人間の固有性を消し去ろうとする組織のあり方だった。

「お前がいなくなっても、いくらでも他にスペアが存在するんだ!」という資本家の恫喝に一矢報いるための生き方を模索したかったのだ。


三軍を撃破するべく、日々ひそかに、か細き紅蓮の弓矢を磨き続ける富豪の会のメンバーたち。

明日はトレードスクールとはひと味違った美酒に酔いしれよう!