日経平均天井予測情報発信の是非:受け手にとって真の満足を考える

先日、7月3日引け後の15時36分、下記のようなツイートを発信した。

日経平均の高値を示唆

7月3日15時36分のツイート


最近の自分のツイートは、トレードや統計関連の、フォロワーに参考になるサイトの紹介を続けていたので、突如のポジショントークに違和感を感じた方も多いかもしれない。

普段見ている公表数値や独自に加工した指標がすべて下向きのロイヤルストレートフラッシュになったので、勢い余ってのツイートだった。


結果的には日経平均先物は翌日寄り付き天井で、昨日まで延々下げ続けているし、まだ道半ばというところ。

もちろん下げに100%の確証があったわけではなく、期待値上のリスクリターン比があまりにもロング不利という、システムトレーダー視点での相場観に依拠した発信だった。


情報発信に関して意識を傾けるべきは、受け手の真の満足だと、最近強く意識するようになってきた。

では、その受け手の真の満足とは何か。

それは、「未知の概念と既存概念との接触による思考の摩擦」だと考える。


深く深く考え続けた問いに、何かしらの刺激、たとえば広大な視点から統合された知見を持つ人物、時代の考証を経た美しき文体を持つ書物、森羅万象を司る自然の摂理、などによって内なる声が呼応して解に至る。

高度な知性を常備する人間なれば、突き詰めると、そこにしか真の満足はないのではないだろか。


翻って、先ほどのポジショントークはどうだろう。

受け手は思考の摩擦を起こすだろうか。

思考の素材としての要件を備えているだろうか。

思考することを止めさせてしまい、逆に受け手の脊髄反射を促しはしないだろうか。

根源的な動機を紐解くと、自分がドヤ顔したかっただけではなかったのか。


現段階における満足の基準「未知の概念と既存概念との接触による思考の摩擦」。

為すは難し。

なれど意識は常にそこに置く。