自らに固有性のある情報を付加する:新たなる情報化社会での処世術


先週の5月23日、例の平成生まれの青年の講義がスタートした。

自分に、24万8千円の高額授業料を脊髄反射で支払わせた、まさにDRMの天才。


長年企業向けマーケティングコンサルティングの仕事をやってきたが、正直彼のコンテンツに1度触れる方が、フィリップ・コトラーを100回読むよりも有益だ。

脊髄反射した自分の感覚を最高の教材として、彼の展開する授業を存分に楽しんでいこうと思う。


授業は毎週動画配信で行われ、期間は10月までの長丁場。

真意を理解するため、すでに初回動画を5回は再生して見ている。

人を見下しきった生意気な物言いにさえ、何か意味があるのではないかと一言一句逃さず聴き入る。

授業で身につけるのは、ズバリ“コンテンツの価値を最大化する手法”だ。


情報空間が支配する現代は、情報をコントロールできる人間が支配者となる世界。

現物市場においてもそれは同じ。


丹精込めて同質のコメを生産するふたつの農家を考えてみよう。

一方は生産したコメをただ農協に納品する旧来の農家。

もう一方は、米作りに対するこだわりや哲学、それを体現する日々の農作業を消費者に向けて提供し続け、直販ルートを開拓した農家。


前者は農協を通すため、コメは生産者と切り離され、コモディティ化する。

コメの機能的価値のみの提供となり、完全に市場原理にさらされる。


日本のコメの価格は生産コストを大きく割り込んでいるため、この農家はコメそのものの売値ではなく、国の補助金で命をつなぐ。

当然TPPには反対だ。


後者の生産するコメは、“生産者の思い”という固有性のある情報が付加されている。

したがって、世の中で唯一無二の商品となり、市場原理から切り離される。


作付面積も限られるため供給が絞られ、農家の言い値でありながら数年先まで予約でいっぱいだ。

彼らにとって、TPPは限られた供給に対して需要が一気に跳ね上がる協定なので、もろ手を挙げて歓迎することだろう。


ゴッホの作品が何十億円で取引されるのは、使用しているキャンバスや絵の具、額縁に価値があるのではなく、画商によって物語られるゴッホという固有性のある情報が、その二束三文の物質に付加されているからなのだ。

しかも各1点しか市場に供給されないため、供給側が圧倒的優位な状況を形成できる。


読者が自分自身を顧みたとき、そこに固有性のある情報が付加されているかどうか、今一度考えてみよう。

注意すべきは、固有性と“能力の高さ”を混同してはならないということ。


サラリーマンとして労働市場に浸っている以上、常に競争原理、すなわち需要と供給の原理にさらされる。


かつて日本の花形だった半導体業界の、高度なスキルを持った誇りある技術者。

彼らは今、供給過多な日本の労働市場において、二束三文の給料で韓国人や台湾人に買い叩かれている。

雇用してもらうだけで精一杯で、能力の高さに比例した給料など望むべくもない。


そもそもサラリーマンには固有性のある情報を自らに付加するという発想自体がない。

“キャリアアップ”などというリクルートの洗脳ワードに踊らされ、ひたすらコモディティ化のリスクを内包した能力を磨く。

市場の需要と供給の原理の前では、個人の能力の高さなど刺身のツマほどの意味しか持たないのに。


その事実に目を背けるか、きちんと向き合って自らに固有性のある情報を付加しようと努力を始めるか。

強制はしないが、膨張し続ける情報空間での処世術、一度はトライしてもいいのではないかな。